近年、対流圏オゾン量が人為起源物質によって増加しつつあることが懸念されている。地球大気中のオゾンの約90%は成層圏にあり、対流圏には残りの約10%が存在するにすぎない。しかし、この10%の対流圏オゾンが、地球大気の中で重要な役割を担っている。オゾンは紫外域ばかりでなく赤外域にも吸収帯をもっており、そのため対流圏オゾンは温室効果ガスの一つである。この対流圏オゾンによる温室効果は、特に対流圏界面付近で顕著になると言われており、IPCC(気候変動のための政府間パネル)においても、対流圏オゾンは、二酸化炭素、メタンについで3番目に影響力のある温室効果気体とされている。
また、対流圏オゾンは、大気汚染の原因の1つであり、光化学スモッグを引き起こして人間の呼吸機能や皮膚に影響を与えるとともに、森林・農作物などにも有害な影響を与えることが知られている。さらに、対流圏オゾンは、対流圏科学に大きな影響を与えるOHラジカルにも深く関与している。太陽光線の紫外域によって水蒸気と反応し、強い酸化能力を持つOHラジカルを生成する。OHラジカルは、大気微量成分の対流圏での寿命を決めており、対流圏化学に大きな影響を与える。
対流圏オゾンは、現在では19世紀末に比べて少なくとも2〜3倍に増加していることが知られている。IPCCの将来予測によると、2025年には、対流圏オゾンの前駆体物質である窒素酸化物NOxが現在の約3割も増加するとされている。このように、NOxのような人為起源のオゾン前駆体物質の排出量増大に伴って、対流圏内の正味の光化学オゾン生成は、現在の5割以上増加することが予測されている。この増加の多くは、南アジアや東南アジアで起こることが予測されており、その影響はアジアのみならず北半球全域に及ぶ物と考えられている。特に、アジア大陸の風下側に位置する日本は、最近もオゾン濃度が増加し続けており、オゾンの越境大気汚染が環境に大きな影響をおよぼすことが懸念されている。
NOxは大気汚染物質であり、一酸化窒素(NO)と二酸化窒素(NO2)は、数分間の時定数で光化学平衡になるので、まとめてNOxと定義される。NOxの主な発生源は、人為起源としては化石燃料の消費があげられる。自然起源としては、雷放電、バイオマスバーニング、森林火災、土壌からでるものなどがある。NOxはそれ自身が大気汚染物質であると同時に、炭化水素など複雑な光化学反応を経て対流圏オゾンを生成するため、対流圏オゾンの前駆体物質と呼ばれる。
対流圏オゾンは主に以下の反応から生成する。式(1)でNO2が太陽光で光分解され、NOと基底状態のO(3P)が生成する。O(3P)は酸素分子と結合し、オゾンを生成する(式(2))。式(1)で生成されたNOは炭化水素の酸化過程や、オゾンとの反応により酸化されNO2に戻る。
NO2 + hν → NO + O(3P) 式(1)
O + O2 + M → O3 + M 式(2)
図1.3.1 NO2とNOのサイクル反応
前述のとおり、対流圏オゾンとNOxの関係を観測的に明らかにすることは、対流圏オゾン量の増加を調査する上で重要であり、ひいては地球温暖化のメカニズムを解明する上で非常に重要となってくる。そこで、本研究では対流圏オゾンの前駆体物質であるNOx(NO2)に着目し、衛星から得られた対流圏オゾンデータとNO2データを用いて、NO2が対流圏オゾンに与える影響を評価することを目的とする。
近年の中国の経済成長は著しく、中国の大気汚染が深刻化しており、中国から放出されるNOxの量は年々増加している。したがって、中国から放出されたNOxが対流圏オゾンの増加に大きな影響を与えていると考えられる。そこで、本研究では中国など主にアジア域から放出されるNOxとオゾンの比較を行なっている。また中国のような広域を見るので、一度に広域を観測できる衛星データ(GOME(注1)データ)を用いている。
本研究は地球フロンティア研究センターとの共同研究「アジアにおけるオゾン・ブラックカーボンの空間的・時間的変動と気候影響に関する研究」の一環として行っています。
(注1)GOME(Global Ozone Monitoring Experiment)センサ
GOMEは1995年4月に欧州宇宙機関が打ち上げた地球観測衛星ERS-2に搭載されたセンサのひとつで、直下視観測センサである。空間分解能は40km×320kmで、3日でほぼ全球を観測することができる。