スーザン・ソロモンさんとの20年

林田佐智子

 スーザン・ソロモン博士が初めて来日されたのは1984年京都のMAP(中層大気観測計画)シンポジウムの時でした。当時博士はNOAA のエアロノミー研究所に勤務されて間もない頃で、遠方での国際会議に参加した経験も少なく、もちろんアジアは初めてだったようです。当時私は大学院生(D3)で、博士論文にまとめる内容をそのシンポジウムで発表しました。ソロモン博士の発表の内容は成層圏における化学ー力学過程の結合についてで、その発表の迫力に圧倒されました。当時すでに米国の学会から新人賞を受けておられたということは後から人づてに聞きました。また彼女は、ほぼすべての発表に興味をもって積極的に質問をしていたのでとても印象深く、こんな若い女性研究者もいるのだなあ、と感銘をを受けました。そこで懇親会のとき、思い切って話しかけてみたのです。日本では女性研究者の数がとても少ないから、あなたを見てとても勇気づけられた、ということを拙い英語で伝えようと "You encouraged me."などといい加減なことを言ったと思います。そうすると彼女はにっこりして"Oh, you encouraged me!"(あなたこそ私を勇気づけてくれた)という言葉を返してくれました。

 その後、学会最終日に会場に座っていると、にこにこと隣に座って来られ、「私はあなたと友達になれてうれしいわ、だって同じくらいの年齢だと思うから」と言うのです。彼女はてっきり中堅の30代中ばくらいの研究者と思っていたので、びっくりしてしまいました。飛び級で早く学位を取得しておられたためだということもわかりました。そして、翌日ドイツの大学の先生を案内して京都観光をする、という話をしたら、人なつこく「いっしょに行っていい?私もドイツ語は少しわかるから」と言ってこられるのです。私はちょっと困惑したのですが承諾し、翌日はベルリン自由大学のラビツケ博士ご夫妻と、ドイツ語が趣味の私の父、そしてスーザン・ソロモン博士と私というメンバーで京都観光をしました。結局ラビツケ夫妻が先にお帰りになり、残った3人で竜安寺や清水寺などを散策したと記憶しています。

 翌年の1985年、私は国立環境研究所(当時は国立公害研究所)に就職し、大気環境部研究員として研究者としてのキャリアの一歩を踏み出しました。そのころ、「南極オゾンホール」のニュースが伝えられてきました。このあたりの話はソロモン博士の講演にあったとおりです。1986年にはすでに南極観測隊を率いて現地観測を行い、オゾン破壊が化学的に進行していることを突き止められた業績は日本にも伝えられました。

 私が初めて彼女の所属するNOAA エアロノミー研究所を訪ねたのは1988年のことです。私にとってはこれが最初の米国訪問でもありました。2週間そこに滞在し化学反応モデルについて教わりました。そのころ、彼女はすでに押しも押されぬ名声を勝ち得た研究者でしたが、私には極めて親切で、彼女自身で短期滞在のアパートを世話してくれ、毛布から食器から全部運んできてくれました。週末には国立公園にドライブに連れて行ってくれたことをよく覚えています(写真)。そして、本当にモデルの勉強をしたいなら、2週間じゃ駄目、1年来なさいと言ってくれました。

 そのときの彼女の言葉に意を強くして、ボールダーに1年間の留学を果たしたのは1992年のことです。コロラド大学に留学が決まった夫と1歳9ヶ月になる長女との3人での旅立ちでした。たまたま借りた家は彼女の家の3軒となり。大雪が降った翌朝は、家の前で雪かきする彼女の旦那さんと立ち話するようなつきあいでした。彼女は政府関係の審議会委員やオゾンアセスメントレポートのパネリストなど、数々の要職をこなして出張づくめながら、研究室にいるときは必ず3時頃コーヒーカップ片手に我々のいる部屋へ"Hi! Guys!"とやってきて、研究の進行状況を聞いてコメントしてくれるのでした。  1年間彼女の研究室で修行させてもらった私は、帰国後まもなく縁あって奈良女子大学に着任。そして10年、いつかは彼女にこの大学へ来て講演をしてもらいたいと願ってきました。ブループラネット賞受賞のため来日するとのメールを彼女から受けたとき、思い切って奈良へ遊びに来ない?と誘ってみたのです。多忙な日程を割いてのスケジュール調整は大変だったようですが、それでも私のたっての願いに、丸1日を奈良女子大での講演とミーティングに割いてくれました。IPCC第一部会の共同議長が本学へやってくる!是非このことを多くの人に知ってもらいたいと思いました。奈良県庁環境部の大川さんという力強いバックアップと研究室スタッフ・学生の献身的な協力があって、講演会を盛況に終えられたこと、また京大を中心とする若手研究者の人達のおかげで楽しい懇親会が出来たことは本当にありがたいことでした。

 私は若い人達に、彼女のような素晴らしい女性がいるのだということ、そして、人生には大きな出会いがあるのだということを知ってもらいたいと思いました。20年前、MAPシンポジウムの懇親会で彼女に話しかける勇気がなかったら、この講演会はなかったかもしれません。若い時に得た出会いは一生の財産です。日本には古来から「一期一会」という言葉があります。この講演会がまた次の出会いにつながって行くことを心から願っています。



スーザン・ソロモン博士と筆者
1988年エステスパークにて。
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